男のきもの えいたろう屋

THE JAPANESE SPIRIT | 京都発の“男のきもの専門店”です

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〒604-8166 京都市中京区三条通烏丸西入北側 文椿ビルヂング1階東南角
ブログ
店主と店舗スタッフのブログです。
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着物を着るという文化

茶、花、書、能、狂言、落語、雅楽、武道……どれもが美しい日本の文化。でも、それらは全て表現のカタチです。本当の文化はその奥に潜むものの中にあります。それは日本語をきちんと話し、着物を着る、そしてそのように暮らすということで感じられる何かではないだろうかと、最近よく思います。ある文化の傍観者であることと体現者であることは、部外者と当事者の違い、似非と本物の違いです。

最近、外国の方が日本の文化の体現者たらんと切磋琢磨しておられるのをよく見かけます。果たして我々は傍観者になってはいないだろうか?生活の中に、眼には見えないけれど受け継がれてきた確かな自前の文化が息づいているだろうか。自戒を込めてそんなことを考える今日この頃です。

存在の耐えられない軽さ

京都は今でこそ観光都市として脚光を浴びていますが

少し前までは(まあ、いまでも)

高度成長や流行の最先端という世界からは遅れています。

いい具合に取り残されたのが

結果として観光資源として活きた、ということなのかなと思います。

同じ文化でも、京都は伝統、東京は先進。

これは今も大きくは変わりません。

京都は中途半端に都会なので、京都人の一部は「東京にも負けない」と思っていますが

京都人が思っている以上に先進という意味においては開きがあります。

ただ・・・

残念なことに日本の先端文化というのは

少なくとも明治維新以降では、常に西洋からの輸入ものでした。

まあ、それ以前から舶来でしたが。

戦後の急激な西洋化を先進文化の発展と捉えるならば

東京は独自のものはほとんど生み出していません。

概ね、他所で創造されたものを消費する街であり続けています。

少なくとも鎖国中の江戸が生んだオリジナリティ溢れる文化は

東京にはありません。

そしてそれがそのまま今の日本の象徴です。

今も西洋の文化文明に精通していることにマスメディアで最大級の評価がされる日本。

その基準で一人勝ちの東京に、地方が羨望する。

そしてマスメディアの関係者は東京羨望の地方出身者が自ずと多い。

この構造に掉さす者は少ないです。

もちろんそれが悪いとまでは思いません。

でも格好いいとは絶対に思いません。

イギリスで英語が喋れると自慢するくらい格好よくないです。

そんな姿の行く末に日本という国の存在意義があるのかどうか。

・・・

自国の存在の耐えられない軽さが

私の源動力なのかもしれません。

 

卒業式

今日、次男の小学校卒業式に行ってきました。驚きました。
女子の和服姿79名、男子の紋付袴姿18名。何かの火がついたようです。
もちろん我が子も紋付袴で出席しましたが、私が今日唯一泣きそうになったのは、息子の勇姿を見たときではありません。
なんと、担任の先生方だけは男性は全員黒紋付袴姿、女性は着物袴姿で揃えておられたのです。
思えば私は、和服が消えてしまった現代の日本のフォーマルの場で、せめて半数を和装にしたいという思いを胸に「男のきもの えいたろう屋」を始めました。あれから僅か十数年、我が目を疑うような光景がそこに展開されました。先生ですよ。式典の先頭を切って六つの組の先生方が颯爽と袴姿で入場してこられたのです。日本の師範ここにありという感じでした。
四年前、長男の卒業式に紋付を着せた時は、同調した家族ぐるみの友達と、あと女子一人の計三人だけの和装。それが始まりであったような気がします。それがたった四年で計97名と担任の先生方にまで拡がりました。
女子に至ってはなんと75%が和服姿でした。
ちょっと今年は異常かな?とは思いますが、明治以降蹂躙され失われ続けてきた日本の固有文化への飢餓が、それを取り戻そうと裡なる何かを刺激し始めたのでしょうか。
世の中というのは生き物です。大切なものはどこかで生き残って、密かに出番を待っています。私たちの身体は先人たちの記憶を宿しています。着物に身を包むと身体がそれを思い出させてくれます。
できるだけ小さい時に、その体験をさせてあげたいと思います。そうすれば、成人式は素晴らしい大人の儀式に変貌していくに違いありません。

着物と関係する。

なんで着物の仕事なんか始めたのだろう?

時々自問自答します。

「着物が好きでたまらないから」

誤解を恐れず本音を言えば「いいえ」

もちろん好きですが、「たまらない」ということはありません。普通に好きです。

でも、このごろふと感じるのですが

家の箪笥に当たり前のように着物が並んでいるのを見ると

なぜだか幸福感に包まれます。

普段着の中に着物があるというのは

日本人としての私をこの上もなく落ち着かせてくれるようです。

なんかこう、不安な感じがなくなるのです。

これはたぶん明らかに着物の効用です。

理屈抜きに自分の身体が反応しているのです。

好き嫌いとか素材とかデザインとか、そういうものを超えた

着物と私の感応。

着物と関係することで整う自分、というのがあるようです。

私は洋服も元々大好きです。いろいろ着れて楽しいし。

しかし、特別はっきりした理由があるわけでもないけれど

着物からはもはや離れることができません。